1994アンコール・ワット旅行記
田村 知章
<その1>
カンボジア。Cambodia。これは長くこの地を支配していたフランスの表記であり、現地では'Kampuchea' カンプチヤ、自分たちのことを'Khmers'クメール人と呼んでいる。
面積は日本の半分以下の18万平方キロ、人口は’92年で約900万人という東南アジアの小さな国は、米ソ冷戦の波に揉まれて、悲劇を繰り返してきました。
しかし、そこには有名な仏教寺院「アンコール・ワット」が建っています。 私はそこを尋ねるツアーに参加し、無事アンコールワットから生還したので、報告したいと思います。
アンコールワット遺跡前には戦車が走り回っていました。現地で売っている英字新聞「プノンペンポスト」では政治活動家がAK−47(ソ連の銃)で撃ち殺された 話が載ってました。
シハヌーク殿下は国外逃亡してました。
キリング・フィールドでは吹きさらしの人骨を多数目撃しました。
色々ありましたが、アンコールワットの仏像のお慈悲が国に行き渡ることを祈らずにはいられません。
変な土産も買いましたが、後で報告します。
○出発まで
私の勤める会社の「勤続10年で1週間のクリエイティブ休暇制度」を利用したのです。あのような国ですから上司、家族の反対もあったのですが、外務省・邦人課に問い合わせたり、カンボジア友好協会に問い合わせたり、大手ネットの旅フォーラムに問い合わせたりして情報を集めました。
カンボジア友好協会に電話すると、色々と親切に教えてくれました。プノンペンには、タイ人、中国人、ベトナム人など色々な国から来た人が商売しているから面白いよ、それに恐いことはないよと。でも、追い剥ぎに遭った人が一人居たよ・・とか。
ニフティには有料のWSAFETYというサービスが有り、この毎日新聞の集めた海外渡航安全情報も検索しました。
知り合いにカンボジアに行った人がいないか探し、2名見つかった内の一人に電話で聞いてみました。安全に関しては特に問題なかったようでした。
色々な情報を集めている内に、ますます行きたくなりました。収集結果をプリントアウトして周囲の説得に回りました。
そうそう、パスポートも昔のが期限切れなので、新しく取りに行きました。新しい小型のパスポートが出来たのは、出発の10日前。その日、旅行代金の残りも振り込みました。旅行保険を、初めの額より増額して。
そして、ついに5月22日、出発出来たのです。
朝10時55分のJALバンコック行き、私は八王子在住なので家を5時半にでました。京成の無料特急でゆうゆう間に合いましたが、前日というか、当日のあさ1時までパッキングしてたので、頭は眠気と電車乗り過ごしの恐怖感が混じってフラフラ。
8時半過ぎに成田第二旅客ターミナルに着きました。添乗員のT沢さん、酒の臭いをプンプンさせていて、こりゃ大丈夫か?とも思いましたが、旅の最終品質を決めるのは添乗員ではないと知る私ですから気にしないことにしました。しかし、旅行中、ずっと酒臭かった。
○飛行!
バンコックへのフライトは問題なし。機内上映はウーピー・ゴールドバーグの「天使にラブソングを2」Sister Act 2でした。ミュージカルを客席の劣悪なイヤホンで聞くのはつらかったとはいえ、そこはアメリカ映画、ちゃんと楽しませてくれます。
その夜はタイの中華料理店でディナー、翌朝はプノンペンに飛びます。21の客+1名の添乗員がテーブルを囲んだ訳ですが、この時期、年金生活者トラベラーが多いようです。就職活動中の大学生や、この旅のため会社をやめてしまった元OLも居ました。勤め人も何人かはいて、酒や行動形態から、それら勤め人と仲良くなり、のちにプノンペンの夜を徘徊することになります。そのうち二人は出版関係者でした。

バンコックのホテルはデルタ・ホテル、横には「宮沢りえ」という名前のカラオケ屋がありました。ホテルは今回の旅では一番ましなもので、電話も金庫も湯のでるシャワーも、そして茶を沸かすポットすらありました。
このホテルの下層はロビンソン・デパートとスーパーマーケットになっています。そこでタイのカップ麺を買い、部屋のポットで湯を沸かして食べてみたのですが、とても辛くてスープは飲めません。さすが、タイの本場の味つけだと思いました。ついでに日本の漫画を真似たらしい怪しい漫画本も3冊買いました。
部屋のテレビには香港のスターテレビが写ります。ここで深夜に「謎中之謎」という韓国の番組が流れ、UFO特集でした。韓国でもUFOを見るのが流行しているようです。
カンボジア入り
翌日、2日目の日程は移動移動で、まずカンボジアの首都、プノンペンに飛びます。飛行には1時間もかかりません。飛行機の窓から茶色の大地を眺めていると、タイの区画整理の出来た畑から、沼か河か畑かあいまいな混沌とした地域に入って行きます。
プノンペン空港では、飛行機のドアから出ると、なんと階段を降りて滑走路を自分で歩いて建物にいかねばなりません。とにかく暑い!どっと汗が噴き出します。日本の地方空港でもこんな旧式は少ないでしょうね。
カンボジアは日本に大使館がないため、ビザはプノンペン空港でその場で申請・発行してもらいます。これが実にいい加減な書類で、名前やパスポート番号が間違っているのはしょっちゅうだとか。私のパスポート番号もしっかり間違ってましたが、それでも通ってしまうというこれがまたいい加減な窓口です。
役人がみな若く、また、教育も低いためだそうです。教育のある年輩の人はポル・ポト派に殺されてしまったせいもあるようです。でも、女性の役人はタイトスカートで格好良く、写真を撮ろうとフィルムを入れ替えてるうに他に行ってしまった。残念。
プノンペンのレストランで中華風カンボジア料理の昼飯を食べ、ちょっと休憩して町をブラブラしました。とにかく暑い。町はバイクと自転車が走り回り、4輪車はあまり走ってません。ちょっと歩いても分かるのですが、プノンペンは高いビルもなく、小さな町です。でも首都です。
さて、今度は国内線でアンコール・ワット等の遺跡のあるシュムリアプに飛びます。いよいよです。
空港ではプロペラ双発の飛行機が待っていました。(機種名を忘れた)席は早い者勝ちの自由席です。
飛び立って20分もすると、眼下にトレンサップ湖が広がります。これが、湖というよりは沼に近く、雨期には広がり、下流で接続するメコン河が増水すると水が遡って来て、またさらに広がるのだそうです。
約40分の飛行の後、シュムリアプに着くとまずバンティアイ・スレイ・ホテルへ。荷物を置くと、さあ、アンコール・ワットの夕日を見るために出発です。
○アンコール・ワット
マイクロ・バスは夕方の暑苦しい大気の中をアンコール・ワットに向け疾走します。ほんとに田舎道です。そして、道ばたの木々の茂みが深くなって行きます。走り出して10分もしない内に目の前が開け、堀の向こうにアンコール・ワットの広く長く伸びた囲壁と回廊が見えてきました。砂岩の壁です。手前は環濠(堀)になっていて、牛が岸で散歩しています。
壁の奥には、「アンコール・ワットの写真」として良く出てくる3本の尖塔が見えます。これが実は正方形の4隅と中心の5本の塔で構成されています。ですから、見る角度で本数が違ってきます。
カンボジアには見方の狭いことを「彼にはアンコール・ワットの塔が3本しか見えていない」という言い回しがあるそうです。
車は正面、西側入り口に向かってとばしています。
「ああーっ、ついに来たんだーっ」と思うまもなく急停車、マイクロ・バスを降ろされます。5時半過ぎ、西に沈みつつある太陽の光線を浴びるアンコール・ワットの前に立ちます。
さっそく物売りの子供が寄ってきます。Tシャツ、絵はがき、飲み物にフィルム等を売りつけようとしてきます。軽くあしらいながら歩いて行きます。インドの乞食や物売り程はしつこくないというか、すれていないようです。
アンコール・ワットの構造はこうなってます。
↑北
+−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−+
| 環濠(幅190m) ↑|
| |
| + +−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−+ |
| | | ↑| |
| ■ | ラーマーヤナのレリーフ | |
| | | +−−−+ +−−−−−−215m−−−−−−+ | |
| 翼 | |NHK| | | | |
| 廊 | |プール| | □ +−−115m−−−+ | | |
| | | +−−−+ | |□ | | 4| 1|
| ↓ | | ↓ ++−+−+ ◎−−−−−◎ | | 0| 3|
+−−−+−−−−−−−−−|| | +−+ 中央塔 | 1 1 0| 0|
←西 門 塔|+−+−+階段 ◎ | 0 8 m| 0|
+−−−+−−−−−−−−門|| | +−+ h59m| 0 7 | m|
| ↑ | | ↑ ++−+−+ ◎−第3回廊◎ m m | |
|12m| | 9m マ| |□ | | | |
| 翼 | ハ| □ +−−−第2回廊−−+ | | |
| 廊 | || | | |
| | | バ+−−−−−−第1回廊−−−−−−+ | |
| ■← 475m → ラタのレリーフ ↑内田弘慈作業場 | |
| | | ↓| |
| + +−−−−−−−−−−−囲壁−(←600m→)−−−−−+ |
| |
| 環濠(幅190m) ↓|
+−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−+
← 1500m →

この絵を書くのに事典類を色々調べたのですが、皆数値が違います。
最近の精密な計器による計測を受けていない遺跡なのでしょうか。
戦乱があったし、修復の技術者も生き残っているのは2人だけという話があるくらいなのですから。正確なデータが欲しいものです。吉村作治を派遣するか。
翼廊は3つの四角い塔が立っている、低いけれど広い壁です。近づくと、中央塔を頂点として見えていた3本の塔が翼廊に隠れて見えなくなるのです。翼廊の門は狭く、通り抜けるには一度暗く細いこの廊下を抜けます。これが演出効果となって、再び中央塔が見えると感激する仕組みになっています。
この仕組みは塔門を潜るときにもう一度繰り返されます。
2年前、NHKが新年特番をここから初日の出中継してた時に東山魁夷大先生がおっしゃってましたが、本当にそのとおり、なんと巧妙な仕組みでは有りませんか!
その時NHKはまた、干上がった池を復元して、アンコール・ワットが反射して見えるようにしました。(山中湖に映る富士山という理屈)それを上図ではNHKプールとして描いて有ります。翌日のアンコール・ワット2度目の観光では、この池の前でNHKの狙った構図で夕日に染まる寺院を撮影、リバーサルでとことん撮りました。
初日は中央塔の祠堂前で6時30分頃まで地平線に沈んでいく太陽を眺めてました。
スコールを降らす雲がその方向にかかっていたため、夕日自体は綺麗には見えませんでしたが周囲を見回すと、夕日の赤の照り返しで鮮やかに染まる雲が眺められました。
第三回廊の壁には豊満な上半身をさらけ出した女神テバタが隙間なく彫られています。沢山の女神さまに囲まれて赤い光線を浴びていると「ああっ女神さまっ」と感じますです。
内田和尚のレリーフ作成途中を撮影しました

「内田弘慈作業場」とあるのは、カンボジアでボランティアとして井戸を掘り、アンコール・ワットについての写真集「アンコール・ワット遺跡見聞録」(KDDクリエィティブ刊)も著している東大寺の内田和尚様が独自に開発した技法でレリーフの拓本を採っておられた場所です。
墨を入れて漉いた紙をレリーフに貼り、その上から5色の染料をタンポ擦りして立体的な拓本を仕上げるもので、著書にも収録されてますが、実物も素晴らしいものです。
カンボジア政府の要人からの依頼で作業していたそうです。
私はその本を日本で出発間際にようやく手に入れ、飛行機の中で読んでいたのですがそこにもしっかり持って来てましたのでサインをねだりました。
染料で汚れた手をやや面倒くさそうに洗いながらも、サインしてくれまして、とってもラッキーでした。
こうしてアンコール・ワット寺院観光の第1日目は終わりました。喉はカラカラ、ホテルに帰ってからのビールはとってもとっても、美味しかった!
○アンコール・ワットの夜
カンボジアでの初めてのディナーは夕方7時半頃からホテルの食堂で始まりました。内容はアンコール・ビールとカンボジア風中華料理。
ウェイターは若い現地の娘さんたち。
色々な大皿が出てくる中で、魚1匹まるごと唐揚げにしてあるのが、カンボジア風らしい。近所で捕れる川魚であろう。
食後、部屋で少し休んでから、また、食堂の一角にあるバーに行くと、同じツアーのおじさんが二人、酒を飲んでいる。そこで私も加わった。計3人、共に家族を家に置いたままの個人参加であります。他の夫婦ものや年金受給者はバーには現れません。学生と元OLさんは後からやって来て、酒の席に加わりましたが、結局毎晩顔を合わせて酒を飲んだりうろつき回るのはこの3人のメンバーに決まってしまいました。
酒は日本の酒場にくらべればちょっと安いぐらい。現地ホステスに年を聞くと17歳とか18歳でした。ここには未成年女性の夜の仕事を取り締まる法律なんて、無いでしょうから問題とはならないのでしょうが・・・17歳の彼女は父親が毎日バイクで送り迎えしてくれているのだそうです。
そのバーは夜9時に終わるという健全さです。ホテルの外には店もなにも無い、ポツポツと民家が有るだけのところですから、あとはホテルの部屋で、ということになり、一人部屋のおじさんの部屋に3人再集合しました。私は成田の免税店で買った吟醸酒(日本酒だと免税でもさっぱり安くない)とタイのスーパーマーケットで買ったツマミを持参。
酒はたちまち吸収され、3人とも「やっぱり日本の酒が一番うまい」という結論になったところで明日のこともあるから、と、お開きになりました。
翌朝、卵料理とトーストの朝食を終えると、アンコール・トムに出発です。ホテルの前でマイクロバスに乗ろうとすると、ホテルの前庭でビデオ撮影しています。花や置物で飾られたそこにはウェディング・ドレスと白いタキシードのカップル。そう、結婚式の撮影をしているのでした。カンボジア人も結婚式にはお金をかけ、ビデオを残して置くのでしょう。プノンペンの町でもそんな撮影風景を見ることが出来ましたし、看板にドレスとビデオカメラを描いた店も見かけました。
一般の人がビデオに映る、最初のきっかけなのだろうと思います。
○となりのアンコール・トム[翌日]
アンコール・トムとは「大きな王都」という意味で、アンコール・ワットの建立の半世紀ほど後にジャヤバルマン7世(1181〜1218?)が建立したもの。アンコール・ワットの北1.5キロ程なので昨日と同じようにあっけなく到着する。
1辺3キロの正方形の都市の中央に、地上から45メートルの高さにそびえる中央塔があり、その周辺に大小様々な観世音の彫られた塔がそびえています。
ここの最大の特徴は、塔の4面に観世音の微笑む顔が彫られていることです。世界中に仏様のお慈悲が行き渡るようにという設計思想なのです。
ここでは観光会社の現地駐在の方から解説を受けました。健康そうな日本のお嬢様です。ここの回廊のレリーフは、民衆の生活を活写していることが特徴だそうです。しかし、かなり傷んでいます。綺麗に残っているレリーフも少ないとか。現地の人たちの手で修復されることを望みます。
修復中の癩王のテラスも見物。その修復半ばの様子は、案内書などの写真とは、かなり違ったものになっていました。ホントにキチンと修復してるのだろうか?
他に、ラ・プラタという、樹木によって浸食されて崩れていく遺跡を見物。そこはもう、修復のしようもないので、現状維持だけをする方針だとか。ツアーの後ろから、マシンガンを担いだ少年が、観光客が遺跡に変なことをしないよう監視しています。
また、行く先々で少年の物売り「Tシャツ2ドル」とか叫んでいます。その子の親たちは、子供を後ろに乗せて自転車を漕ぎ、先回りしているからです。
しかし!とにかく暑い。汗は流れずにどんどん蒸発し、べとつきはないけれど。
一度ホテルに戻って昼食。まずはビール。乾ききった体に冷たいアンコール・ビールを流し込むと、液体がビリビリと電気を発しながら喉を滑り落ちていきます。全身に痺れが回ります。ビールを飲んであんなに感動したのは初めてです
★カンボジアの交通事情★

さて、ここで出発前に「交通事情」について調べてくれないかとある方面から頼まれました。ここにそのために書いた文章を引用します。
○世界の交通事情−カンボジア−
〜原付自転車で走り回る国〜
◎この国の特殊事情とは
この国には、戦乱が続いたための特殊事情が数多くあります。まずは地雷。鉄道などはその恰好の標的となってしまいます。
プノンペン駅からアンコール・ワットへ行くための列車は隔日の早朝発車です。昼間、プノンペン駅にも立ち寄ってみましたが、日中は列車の動く気配はありませんでした。
道路は右側通行です。しかし首都プノンペン市街でも信号のある交差点は少なく、それが点いている事も稀です。発電力が弱く、停電が多いという事情もあります。店を構えて商売をする人は発電機が欠かせないという所ですから。それに信号がたとえ点いていても人々は気にせず勝手に走っています。信号を守るという教育は成り立ちません。
そこで朝夕のラッシュ時には警官が立って交通整理をしている交差点も有ります。
人口100万人の首都がこれですから地方で信号を見ることはまず有りません。
◎主な陸上交通機関は

バイクが最もポピュラーな乗り物です。お客を載せるバイク・タクシーが常時町を流しており、人の立ち寄る所には必ず何台かのバイクがたむろしています。
バイクは、圧倒的にホンダの原付自転車(50cc、いわゆるホンダカブ)です。ホンダのバイクを並べた店が市街のあちこちにあり、小さな修理工場、部品屋が日本のコンビニのような感覚で店を開いています。市場にいけば、生活雑貨の店に並んでバイクのあらゆる部品が並べられぶら下げられた店が有ります。肉屋が豚を解体して部位ごとにぶら下げて売っている、まさにそんな感覚で扱われています。
原付は新車で1500米ドルします。これは日本国内と似たような値段でしょう。しかし平均月給7米ドルとも言われるカンボジア人にとっては大変なお金です。4輪車は1万米ドルもするそうですから、町にはバイクばかりで4輪が少ないのも道理。
バスも扉の壊れたボロ車を極稀に見掛けるぐらいです。もっとも、お金持ちや外国人はベンツを乗り回していますが。(これは世界共通か)
だからこそ、バイクを徹底的に乗り尽くすのでしょう。それも1人2人を後ろに乗せるだけではありません。4人、5人は当たり前です。また農具やお客を乗せた荷車を引っ張って活躍するバイクも行き交います。ホンダのバイクは丈夫で長持ちするためか、本当にとことん使い込まれています。
免許制度はありません。子供でも自転車感覚でバイクを運転し、客を乗せます。
ヘルメットを装着した人もまずいません。高いのと、暑くて被っていられないためだと思われます。タイでは、法律で義務付けられていましたが。
ガソリンスタンドという大袈裟なものも滅多に見ません。道端の出店でコーラのペットボトルに黄色い液体を詰めて売っているのを良く見掛けますが、それがガソリンです。原付にはそれで充分なのでしょう。1リットル数十円程度でした。
◎バイクにまたがる
そのバイク・タクシーに乗ってみました。 アンコール・ワットの在るシィム・リアプの町のマーケットに買い物に行くためです。 ホテルの門番は、出掛けるというとすぐに脇で待機していたバイクを呼んでくれます。 まずは値段の交渉。
外国人は5キロメートル、10分位乗って1米ドル位が相場のようです。観光ガイドさんの話では、現地の人はその5分の1位の料金で乗っているようです。外国人は「お釣りがない」と言われて高く払わされるようですが、やむを得ないところでしょう。現地人と間違われる位に顔が日焼けして、言葉を使いこなせれば安くなるでしょうね。あらかじめ1ドル札だけをポケットに入れておき、そのドル札を見せて行き先を言えば、何とかなるもの。勿論、乗る前にお金を渡しては行けません。握って走り去られては困ります。
乗って見ると、風が当たるので暑さはしのげます。バイク・タクシーは、当地の気候と風土にに似合った乗り物であると乗ってみて判ります。
行きのバイクはスピードメーターが壊れていて何キロ出しているか判りません。それでもクラクションだけは生きています。走行中にお互い鳴らし合い、道路を奪い合いながら走るのです。生活のゴミが道路に捨てられ、悪臭を放つ所も避けながら走ります。
戦後の闇市もかくやと思われるマーケットで着る物や土産を買った帰り、今度はメーターの壊れていないバイクに乗りました。30〜40キロ位で走っているようでした。
余り速く走ると危険ですし、速く走るバイクは滅多に有りません。
町中のバイクは、6人乗りなんていうバイクにもお目に掛かります。その時、運転手は3角形の運転手用座席の先端にちょっと腰をかけて運転します。ツアーで気の有ったオジサンたち3人で夜のプノンペンに飲みに出掛けた時には、3人まとまって乗り、計4人乗りで帰りました。スリル、有りました。
◎シクロ(自転車式人力車)

遺跡のある小さな町では見掛けなかったのですが、プノンペン市街にはシクロが走っています。前が2輪の人力車で、後ろか人がこぐ、3輪車形式です。
外国人は2キロメートル、10〜20分位乗って1米ドル位が相場のようです。バイクと同様、現地人はもっと安く乗っているはずですし、座席におばさん達が3人積み重なって、それでも悠々と進んでいるいるシクロも見ました。
さて、昼の自由時間、プノンペン駅まで散歩しました。しかし、あまりの暑さに降参。昼間歩いている人は見掛けません。まさしく暑いためでしょう!
駅を過ぎ、グランド・マーケットの前でシクロに乗りました。観光客と見ると向こうから声を掛けてくる仲介業のような男がいて、結構歳を召した方のシクロに乗りました。ホテルまで1米ドルの約束です。しかし、シクロはとんでもない裏路地で止まりました。こちらはなるべく忠実にホテルの名を行っているつもりです。ホテル・カードも見せましたが、英語で書かれた地図を彼は読めないようです。途中、同業者に二回も道を尋ね、普通なら10分位で済むところを30分以上かかりました。降りる時に「2ドル!」と言われましたが、「お前のせいで遅くなった」と英語で叫び、1ドル渡して涼しいホテルに飛び込みました。外国に行くと、忍耐と交渉力を鍛えられます。
僅かな滞在時間で試した乗り物ですが、カンボジアの交通事情を生で感じられて面白かったです。シクロは、目の前に対抗のバイクや車が迫り、凸凹の道を行くガタガタを肌で感じ、冷や冷やものでしたが、道を譲り合い何とか進んで行きます。
現地ガイドの方に聞いても、皆ゆっくり走り、運転の技量もすぐ鍛えられるため、事故は少ないとのこと。UNTAC が車を飛ばしていた頃は交通事故が増えたとの報告もありますが、今は落ち着いているようです。
しかし、穴だらけ、ゴミだらけの道の整備、消えない信号の整備、免許制度、車検制度、安全教育など、これからこの国が発展していくためになすべき課題は沢山あります。
幾多の困難を乗り越え、安心して交通機関が利用できる日々が来るよう祈らずにはいられません。
−−−−−−「交通事情」の引用終わり−−−−−−−−−
さて、次は郵便事情

94年5月26日にカンボジアから親・兄弟に出した絵はがきが6月5日頃にやっと届いたようです。
ツアーの添乗員さんに「1週間ぐらいかかる」と言われたので、まあ、そんなものかなあ、と。カンボジアの首都・プノンペンにはポストと言う物が無く、手紙は直接郵便局にもっていかねばなりません。
AIR MAILのハガキ代金は約50円。で、窓口には行列を作る風習がないため、気を付けないとどんどん割り込まれますので緊張が必要です。また、ハガキに切手を貼って、消印を押すところまで確認しないと、代金をネコババされたり、切手をハガキから剥がされたりするからです。
ツアーの他の客には、現地の子供を使って割り込ませて、楽をした人もいました。当然、あとで子供にお小遣いをあげたわけです。
現地ガイドが消印まで確認したので、けっこう時間をとりましたが、なんとかとどきました。
まあ、大変な通信事情ではある。
実際に届いた絵はがきの消印です↑
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