7月30日11時、成田空港南ウィングでB旅行社の小島さん(女性)からパスポートと航空券を受取った。「謎の空中都市マチュピチュ10日間」ツアーの参加者は全 5名。当然添乗員なし。5名中 3人はコニカ大和田寮の住人。あとの 2人は学校の先生であった。困った事に私が僅かに最年長。不安になり小島さんにペルーの事を色々聞いたがさっぱり要領を得ない。彼女は南米に行ったことがないのだった!悪い予感がした。
7月31日 1時、深夜のリマ空港のロビーに出た。現地のお出迎えが・・・中々見つからない。空港にはひったくりが多いと脅されていたので固まって荷物を守ってもらい私は現地エージェントのCトラベル社とエル・プラザホテルに電話をした。しかし誰も出てこない。困った。もう 2時をまわった。・・白髪の太ったおじさんが声を掛けてくる。さっきから付きまとってくる。話してみる・・そう、このおじさんがガイドの宇都宮さんなのだ。日系二世、もと丸紅の社員だったそうだ。
7月31日の朝、宇都宮さんから貰った現地日程表をチェックする。マチュピチュ観光とピサック市場の観光日が入れ代わっていた。これはまあいい。問題は付いているはずの昼食・夕食がまるで付いていないことだ。Cトラベル社に電話し、担当の緒方さんにホテルに来てもらう。東京で貰った日程を見せると「これは貰っていませんよ。ま、何とかしましょ」
太陽が高く上がってしまったので、コントラストが低い。本当は、夜明けか夕暮れの方が光が斜めに入るので、コントラストが高い地上絵が見られるのだという。セスナ機に3人詰め込まれての観光、中には飛行機酔いでもどしそうな人もいました。
日程は食事以外は消化されていった。 8月 2日私は高度3400mの町・クスコへ。インカ帝国の首都だった町だ。 その日は市内観光。夜になるといきなり高山病が襲ってきた。 頭痛でろくに夕食も食えぬままベッドで耐えていた。
8月 3日は英語のガイドが付いた。彼、トーマスさんは現地のケチャウ語が喋れる年配の方。 ガイドの顔なのか、擦れ違う他のガイドはみな丁寧に挨拶していく。私は同行のうるさい先生の質問 を一々英訳してあげた。非常に疲れた。日程表の謎が解けたのはその日の夕食の時だった。
私の絶え間無い交渉の結果、復活したメキシカン・レストランのディナー。ここでB旅行社の添乗員一田さんが10人程の旅行者を連れて来ていた。 (向こうは13日間デラックスコースだ !)こちらの日程表を見せると「これは添乗員がいるときの日程表ですよ。あとの食事は添乗員が連れ ていって経費で払う形式の。いままでこれで旅してきたんですか?私が連絡しておきますよ」
8月 4日は遂にクライマックス、マチュピチュだ!夜明け前に登山電車に乗り込む。スイッチバックで山越えをしているうちに朝日がクスコの町に射し込む。美しい。アンデスの山々を眺めつつマチュピチュの下の駅に着く。ここから伝説の空中都市マチュピチュへ登るマイクロバスに乗るのだが、大変な事態に。電車を降りた客は一斉に待っていたバスにダッシュしたが大混乱。 5人とガイドのカルロスさんはバラバラにオンボロバスに詰め込まれた。高低差600mのヘヤピンカーブをぶっ飛ばす。見えてきた、見えてきた・・遂にマチュピチュへ辿り着いた!
下界からは絶対に見ることの出来ない神秘の空中都市が目の前に広がる。
8 ロサ=ナウティカ 8月 5日、リマに戻ってその夜の便で帰国というときにCトラベル社から「ロサ=ナウティカ で夕食を食わせる。バスで迎えにいくから待ってろ」と伝言。だが往復しているうちに空港へ行く時間になってしまうし、お土産も買いたかった。そこで宇都宮さんに頼むと「ロサ=ナウティカはキャンセルしましょう。後でその分のお金は返してもらえばいいですよ」我々はお土産を買いに佐々木時計店 (日系人経営) に出掛けた。銀製品を買い込んでの帰りに店員に「さっきもバッグを切り裂かれてここで買った物を抜き取られたお客がいます。気をつけて帰ってくださいね」と言われた。
その夜リマ空港で宇都宮さん夫婦の見送りを受ける。なんと宇都宮夫人 (二世) は昼間のガイド(国立人類学博物館・黄金博物館) の帰りにグループのスリに狙われてバッグを裂かれ、 財布を抜かれたとか。全く治安の悪い都市だ。我々 5人は五体満足で日本に帰れる幸せを噛み締めた。
帰国後B旅行社に食いもらした食事代について問い合わせた。だが「向こうに問い合わせているんですが返事がないんです」私も南米慣れしていたので「一度の電話で解決するとは私 も思っていません。何度でも電話します」 2週間後、 5人にそれぞれ現金$30とコーヒー 3袋、テレホンカード 2枚が届けられた。私は思った。「今度は絶対に一人旅だ! 」
田村のホームページにもどる